UFO未確認飛行物体であるUFOですが、それが空飛ぶ円盤というイメージを定着させた原因となた事件、それが、「ケネス・アーノルド事件」です。

UFOと言えば、円盤型、なぜそうなったのかも含めてまとめてみました。
 
この「ケネス・アーノルド事件」が起きたのは、1947年6月24日で、場所はアメリカ合衆国ワシントン州、カスケード山脈にあるレーニア山付近。

その日、ケネス・アーノルド(Kenneth.Arnold)さんは、高度2900km上空を自家用飛行機で飛行していました。
なぜ飛行していたかというと、その前の日に海兵隊の輸送機がその辺りで消息がわからなくなり、その捜索の為、尽力していたのです。

午後2時59分頃、アーノルドさんは、山の上空であるものを見つけます。
それは・・・

  • 北から南へ向けて高速で飛行
  • 全部でその飛行物体は9機
  • 物体は鎖のように一直線に繋がっていた
  • 物体に尾部はなかった
  • 平たい形状
  • 翼があった
  • ジェットエンジンの音がなかった
  • 大きさは15~20メートル

と、当時の飛行機とは姿が全く違う謎の飛行物体だったのです。
不思議に思ったアーノルドさんは、その飛行物体の速度を計算しています。
その飛行体が2点間の距離から、その謎の飛行物体の飛ぶ速度を計測。
その結果は1947年当時の技術では考えられない、時速1700マイル!!!!

この謎の飛行物体との遭遇事件は、すぐさまマスコミによって報じられることになります。
その時、マスコミがこの謎の飛行物体を

空飛ぶ円盤(Flying Saucer)

と名付け、大々的に報じたため、世間でUFOが「空飛ぶ円盤」という認識が世界に広がっていったのです。
UFO=円盤のイメージってマスコミが定着させたんですね。

そのマスコミの一人であるデビッド・ジョンソンさんは、この事件の追跡調査をすることにしました。
ジョンソンはアーノルドの親友です。

1947年7月6日、ジョンソンは自家用機を操縦して、ケネス・アーノルドが円盤を目撃した地域にて捜索を開始!
そこで「きわめて不規則な動きをする黒い円型の物体」を目撃したのです!!

同時刻、観測用気球は放球されていなかったことを確かめたジョンソンはカメラを持ち飛行物体に近づくと、飛行物体はゆっくりと横転を始め、その動作が終わらないうちに瞬時に姿を消したのです。
ジョンソンは物体をカメラで撮影しようとしましたが、何の姿も録画されていませんでした。
カメラに映らないなんて、びっくりです。
しかも、この黒い円盤形の謎の飛行物体は飛行場職員数名も目撃していました。
更に後日、ユナイテッド航空の機長も、同じ空域で同様の物体を目撃。

アメリカ空軍のプロジェクトブルーブックがこの事件の調査をし、空軍お墨付きをもらうことになったのです。

そして、「ケネス・アーノルド事件」があったこの日は、記念日に指定されました。

6月24日はUFOの日

UFOも結構、歴史深いですねー。

この「ケネス・アーノルド事件」では、まだ未確認飛行物体が、空飛ぶ円盤というだけで、それが地球外から来た宇宙人の可能性かも?ということはまだ騒がれていません。
この事件以降の流れを追うと、いろいろ不思議なことが判明します。

1947年 
ケネス・アーノルド事件で、空飛ぶ円盤が世間で有名になる
  ↓
1950年前後
未確認飛行物体の目撃情報が一気に多くなっていく
  ↓
1959年
人類初の月探査
  ↓
1961年から始まったアポロ計画で世界中の人が宇宙に感心を持つ 
  ↓
1977年
スピルバーグによる宇宙人との遭遇を描いた映画“未知との遭遇” が公開される
こちら参照「MJ-12の陰謀、スピルバーグの映画「未知との遭遇」は宇宙人との接触シュミレーションだった!

UFOを取り巻く流れは、徐々に人々の関心を地球外、“宇宙”に向けている感じがします。
そして、前紹介した「“聖母マリア宇宙人説”と繋がる「ファティマ第3の予言」と人類史「1960年」と「ブルームービー計画」の真実」に繋がるのですが、ファティマの予言である“第三の予言”は、1960年以前に開けてはならないというアレです。

人類の宇宙人と関係を良好なものに、人類がパニックにならないように順序立ててストーリーのシナリオを“誰か”が描いていたのではないでしょうか?
そうなると、この「ケネス・アーノルド事件」は、未確認飛行物体を世間に広める第一段目の計画だったとしたら・・・
アーノルドが目撃した以降、目撃情報が短期間に相次いでマスコミが騒ぎ、世界的に有名になっていったのも全て計画の一部だったとしたら・・・

早く出てこい!宇宙人っ!!!(笑