七五三

ケインの検証でも、お内裏様や軍神が、日本の古来の神々のどなたかではないか?という説が度々出ます。
日本神話や神社に祀られている神々、それは「神道」の神々であり、この「神道」と日本神話の神々について、日本人はどう捉え、先祖から受け継がれた信仰を大事にしていかなければならないかを少し語りたいと思います。
出典:ja.wikipedia.org


我々日本人は無宗教ではない。むしろ世界でこれほど信仰が染み付いた文化を持つ国はないのではないか?

縄文時代、弥生~古墳時代と、我々日本に古来よりあったのは現在「神道」と呼ばれている八百万の神々を信仰する精神です。
山にも、空にも、川にもどこにでも神様はいらっしゃり、感謝し日本人は過ごしてきました。
どこにでも神はいると考えるのが日本人。
クリスマスも正月も七五三も祝い、特に必死に信仰しているわけではない日本人。
正月行事や七五三、厄祓い、神社の秋祭りなど、日本人が神社に訪れる機会は、人生の節目や祭り事様々ですが、「宗教」と意識することなく日本人の日常に自然と組み込まれています。
「神道」の神々を現在祀っているもの、それが神社であり、「神道」を意識することなく本当に常日頃の生活の一部となっているのです。


日本人の自然と持っている「やってはいけないこと」などの道徳精神、天皇が神となるまで。

そもそも、日本人は、自分と言う個人よりは、複数の人々が共存するコミュニティを古代より大事にしており、その中で大多数が悪いと思う行いは悪いものである、という意識を持っています。
これは、神道のベースともなるもので、みんなで幸せを求めることが元になっています。
そのコミュニティにおける日常の中で守ってくださる信仰の対象であった山や川、岩など自然にあるものが神として崇められ、「神聖な場所」への意識も育っていきました。
自然の中に神がいるとしてきた古代の日本人。

その後、神武天皇(じんむてんのう)が神の直径の最初の子孫として、日本書紀や古事記などの日本神話で神の繋がりとされ、天皇家という体制が確立されていくのは、ある程度その時代の「政治」としての戦略のひとつとなりました。
日本の国家戦略のひとつとして、国を統治するために神道は様々な祭り事として政治や民衆の生活に組み込まれ、その後、仏教や密教の伝来とともに交じり合い今の日本へとつながっていきます。

ですが、元々持っている神道の基本となる「道徳精神」を日本人は逸れることなく常に持ち続けています。
例えば、神社でゴミを投げ捨てるなんて行為は日本人ならまずしません。
そう、「そんな罰当たりなこと」しないからです。
更に、違う宗教、例えばキリスト教の協会へ行ったとしても同じように日本人ならゴミは捨てません。
多神教だからというよりは、キリスト教ではないけれども、そこはキリスト教徒にとっての「神聖な場所」だと、日本人は特に意識することなく尊重しているからです。
例えば、イスラム教だと平気でキリスト教の聖書を燃やしてもそれが罪だとは感じません。
自分たちの神こそ絶対神であるからです。
日本の「神道」は、キリスト教やイスラム教などの一神教の1人の神を信仰するものではなく、八百万神と呼ばれるくらい本当に様々な神を信仰しています。
日本の神道が誇るこういった他宗教とは違う、宗教の壁なく、互いを尊重し、どの神も神であり、差別なく敬えるところこそスバラシイところなのです。
ちょっと前に流行った、トイレの神様なんて歌がヒットしたように、トイレにも神を、神聖な場所として感じようとできるのも日本人らしいのです。

有名な会津藩の什の掟の締めくくり「ならぬことはならぬものです」もこの精神が基ではないでしょうか?


ケインを通じてお内裏様や軍神が伝えてくれる大事なことはこれではないか?

今、名のある日本神話の古代の神々は、神道というものが日本の国家としての成り立ちを示す戦略として整えられて統制され、現在の日本人に崇高な神々として神社などに祀られています。
ケイン【7】の検証でも出てきた日本最古の神社である大神神社(おおみわじんじゃ)は、大物主大神 (おおものぬしのおおかみ)という日本神話で最初に出てくる名のある神を主神としていますが、ご神体は、三輪山そのものを神体(神体山)としており、自然の「山」という神聖な場所が信仰の対象として大元になっています。

人が神に名を付け、具現化して信仰の対象となる神々。
神道において、神とは、自然であり、先祖であり、人でもあります。

ケインのお内裏様や軍神が度々お怒りになっている事やケインの予知夢を通じて現代の日本人が感じなければいけないこと、それははやり、元々古代の日本人が神に名を付ける前から培ってきた、自然への感謝と信仰の薄れが大きんじゃないかと思うのです。
更に、神道という自然に日本人に身についている「道徳」的な正しいこと、悪いことという日本人として集団のコミュニティを間違っても悪方向へ傾いてはいけない!という「心」の有り様(ありよう)を律してくれているのではないかと。


様々な思想や習慣を自然と取り入れ、その時代ごとに馴染む事のうまい日本人ですが、元々我々の先祖が守ってきた「悪いことは悪く、良いことは良い」そして、常に神は存在し、日常の行いを見ていらっしゃる中での個々の個別、そして集団における行為の善悪。

管理人は思想がやや保守的な右よりの愛国者であります。
一個人の考えなんてちっぽけではありますが、日本人として誇れるところは守っていきたいと思います。