あまり物理を知らない人でも、世界の偉人として誰でも知っている物理学者アインシュタイン。
彼の言葉で「神はサイコロを振らない」という有名な言葉があります。
これは、量子力学の量子についての見解でボーアという物理学者のコペンハーゲン解釈に反論して述べた一言なのですが、よく考えるとすごい意味を持つ言葉だと感じるのです。
出典:en.wikipedia.org
「神はサイコロを振らない」
めちゃくちゃ小さい量子というミクロな物理現象の学問である量子力学。
天才と言われたひらめきの人、アインシュタインは、全ては規則性があり、意味があり何事も法則通りに動くと信じており、古典物理学の規則性から最後までなかなか抜け出せない人でした。
ボーアなどの一部の物理学者が、いや、量子というものは、今までの古典物理学から続いてきた全ての物事には決まった物理法則がある!という考えとは真逆の考えで、結論は様々な地点で重なりあっており、量子の世界では不確定なもので、法則通りにいかない場合も常に同時に重なりあって存在しているのでは?と考えアインシュタインとぶつかったのです。
結果は、現代物理学ではアインシュタインの考えよりボーアなどの提唱した量子ってなかなか奇妙なもので法則が通じないこともあるぞ!という事になっています。
この「神はサイコロを振らない」は、世界はサイコロを振るような曖昧なものではなく全ては決まった物理法則の中で動いている、そういう意味の言葉で「神」と「サイコロ」を比喩したのですが、本当に神はサイコロを振らないのであれば・・・と考えてみました。
もし、本当に神はサイコロを振らないのであれば。
すごい拡大解釈ではありますが、そうであれば我々のこの宇宙の全て、過去~現在~未来全ての出来事全て規定事項であり、全ては最初から決まっているということです。
今、管理人がこの記事を書いていることも、たまたまあなたがこの文章を読んでいることさえも全てが規定事項。
エドガー・ケイシーのアカシック・レコードがあるようなもので(こちらの記事もどうぞ「アカシックレコードから情報を引き出す予言者エドガー・ケイシーが予言する“アトランティス”の再興と叡智とは?」)当事者である我々は、自然だと解釈していてもそれは神かわかりませんが、何かによってまるでプログラミングされそれに従い動いているようなもの。
未来の可能性はひとつなのです。
規定事項であれば予言者も存在する?オカルト的解釈での証明。
神がサイコロを振らない場合、未来は全てひとつ。
もしそれを知ることができる人がいるのであれば、神や未来人以外だと予言者でしょう。
もし100%の精度で未来の予言をひとつも狂いなく予言できる人がもし現れたのなら、正にそれはオカルト的に「神はサイコロを振らない」の証明となるのです。
運命が決まっているのは良いことなのか?悪いことなのか?
ですが、我々は本当に神がサイコロを振らないのか振っているのかを知ることは出来ません。
当事者であり、観測側の立場にないからです。
もし、振らないことが真実であれ、気持ち的には神にはサイコロを振っていてもらいましょう。
未来は自分の力で切り開いている!と、我々人間はそう感じたいものなのです。
毎年様々な予言者が現れます。
特に年末は多いと感じますが、今だに100%な予言者はみたことがありません。
ということは、まだ神はサイコロを振っているのか?
アインシュタインから拡大解釈でオカルト的思考だとこうもこじらせちゃいます。
でもたまにはこういうことを考えてみるのも楽しいなと思い書いてみました。
オカルトなコメント
コメント一覧 (11)
最初から決まっているものは存在すると思う派です。
例えば、朝、遅刻しそうだとパンをくわえながら学校まで走って
曲がり角で運命のステキな人とぶつかってドラマチックな人生を送る自分、
くわえたパンを途中で落としてバナナの皮で滑って転び本当に遅刻して廊下に立たされる散々な自分、
今日は日曜日だった!ギャフン!と学校に来るまで気付かなかった自分
・・・など、無数の自分が時間軸と一瞬の選択肢で網の目のようにあらゆる可能性のもと、別の次元に用意されて存在していると思うのです。
(例えが酷すぎました)
予言が的中するのは、皆と共有している「今」の時間の流れのなかに存在している
ものなのかもしれません。
これに対して、どの道を選んでも同じ結末が用意されているものを
「宿命」と呼ぶのだと思います。
ああ、管理人さんのように文章が上手くないので(>_<)
何を言っているのかよくわかりませんね。すみません;;
ドラえもんの「セワシくん」におけるパラドックスを量子力学のエヴェレットの多世界解釈で考える。なぜセワシくんが存在していられるのか?
http://occult.blog.jp/archives/32213547.html
それに何かイベント(アメリカの砂漠で巨大な人の像を燃やす)が起きたとき、
量子が2分の1の確立で1か0を出す装置を使い変化を調査した。
明らかに、多くの人達が一斉に歓喜の渦を発した時間に極端な偏りがが検出された。
これは多くの人々の願望が強いと、確率さえも変える変化が起きうるという事?
大地震が近いとか、予言者や学者がさわぐと、
皆が、今大地震来たら嫌だなと思えば時期が延びる程度でもさあw
すなわち、時間的、空間的制限を無視して、瞬時に移動できる
(この時点で、量子力学はアインシュタイン力学よりも、さらに深遠な力学であることが分かった)
人間ももとをたどれば素粒子で出来ている
ということは、本来私たちも時間的、空間的制限を受けることはない
ただ、実際に制限を受けているのは、私たちが物質的な制限を受けているからである
ペンローズの本に詳しく書かれてありますが
決定論的かつ非計算的な対象も存在するので
量子論という極めて敗北主義的な解釈が仮に否定されても
おそらくラプラスの悪魔は存在しません。
必然・因果(原因と結果)・法則で成り立っている。
神はサイコロを振らないっていうところ
人間のアダムとイブの神話で近くにりんごの木を置いて食べてはいけないからなって神が言ってりんごの木に巻きついていた蛇が二人を誘惑して負けてりんご食べちゃって知恵がついて裸でいることが恥ずかしくなりましたそれが人間の始まり(?)
神は悪の蛇を隠れているのを知っていたんじゃないかな
それで二人が食べるか食べないか試した。サイコロを振ったんだよ
でも最初から神は二人が食べることを知っていて現在の感性豊かな私たちを産むために
こういうテストを受けさせたのならそれはアインシュタインの法則通りだけどね
つまりこの人類の文明には始まりから終わりまで物語を、なぞるが如く進んでいるという事
つまり法則が現実に原子力などを使ってることが事実であるように、全ての現象が法則の上にあるからという事
アルファでありオメガである、ア、ウンというように、その物語を途中で止める事に対して救世主が現れ物語を続けさせる
その目的が何なのかわからないが人間でも全ての生き物に生死があるように
この大きな宇宙も生死があるんだと思う
人が理解できる範囲を超えた時点で偶然と呼ばれるだけだと思います。
そもそも神はサイコロを振ろうとも思わないでしょう。
全知全能の神ならこの世の始まりから終わりまで知っていてこそ全知です。
サイコロの出目も知っていると見るべきですね。
結果を知っているサイコロを振るとは思えません。