航海史上最大の謎とも言われる事件がある。
それは、1872年にポルトガル沖で、無人のまま漂流していたのを発見された船メアリー・セレスト号(画像元:wiki)の事件です。
1872年11月7日、船長ベンジャミン・ブリッグズの指揮下、メアリー・セレスト号はニューヨークのメッシナ・アッカーマン&コインから出荷された積荷をニューヨークからイタリア王国のジェノヴァへ向けて運ぶために出航しました。
船には船員7人のほか、船長とその妻サラ・E・ブリッグズ、娘ソフィア・マチルダの計10人が乗っていました。
そして1872年12月4日にデイ・グラチア号によってポルトガル沖で発見されます。
その時の状況がかなり異常なもの。
一体この船で何があったのでしょうか??
今だに真実は全く解明されていません。
船長家族を含めた乗務員は今だに行方不明。
救命ボートで脱出しなければいけない状況になったのかもしれませんが、渡航可能な船を捨てなければいけない理由は何だったのでしょうか??
船には船員7人のほか、船長とその妻サラ・E・ブリッグズ、娘ソフィア・マチルダの計10人が乗っていました。
そして1872年12月4日にデイ・グラチア号によってポルトガル沖で発見されます。
その時の状況がかなり異常なもの。
- 誰一人乗っていなかった
- 船全体がびしょ濡れだった
- ポンプは一基を除いて操作不能
- デッキは水浸し
- 船倉は3フィート半(約1.1メートル)にわたって浸水していた
- 船は他の点では良好な状態
- 前ハッチも食料貯蔵室も共に開いていた
- 掛時計は機能していなかった
- 羅針盤は破壊されていた
- 六分儀とクロノメーターは失われていた
- 船が故意に遺棄されたことを示唆していた
- この船唯一の救命ボートは無理矢理引き離された、というよりも故意に降ろされていたようだった
- 3つの手すりに謎めいた血痕があり、1つの手すりには説明のできない引っかき傷があった
- また、血まみれの刀剣(に見えたが、実際は赤錆だった)が船長の寝台の下に隠されていた
- 1700樽の積荷は後にジェノヴァで降ろされたとき9樽が空であったと分かったが、それ以外は無事で、6か月分の食料と水も残されていた
- 船内の書類は、船長の航海日誌以外は全く見つからなかった
- 最後の日誌の記入は11月24日の、アゾレス諸島の西方100マイルの海上にいたと書かれており、11月25日にはアゾレスのセント・メアリー島に到着できる位置だった
一体この船で何があったのでしょうか??
今だに真実は全く解明されていません。
船長家族を含めた乗務員は今だに行方不明。
救命ボートで脱出しなければいけない状況になったのかもしれませんが、渡航可能な船を捨てなければいけない理由は何だったのでしょうか??
オカルトなコメント
コメント一覧 (11)
消える直前に書かれたと思われる慌しく書きなぐられた手紙が
数十年後に漂流したビンの中から見つかっています。
その内容は驚くべきものでした。
言いかけヤメロよw
続きは?
気になるわw
実はあの夜
で、顧客名簿と客を照会してみると男性が一人いなくなっていることが判明する。
船上から人がいなくなって、時間を示す物と、船の場所を示す物が無くなっている。
さて、真実はなんなのだろうね。