妖刀村正

天下統一を果たし、戦国の世が終わりを迎えた江戸時代に、禁忌とされ徳川家を滅ぼしかねないとまで言われた妖刀伝説があります。
その妖刀の名は、「村正(むらまさ)」。
なぜ禁忌とまで言われたのか?その妖刀伝説をまとめたいと思います。

出典:ja.wikipedia.org


「村正」は作った職人刀工(とうこう)の名

「村正」は、日本刀を作った刀工である伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍し3代続いた村正という人の名からきています。
なので、「村正」が作った日本刀に「村正」という銘がついています。


伝説の始まり、なぜ“禁忌”となったのか?

徳川家は「村正」を持っているだけで切腹を命じるほど「村正」を恐れていました。
なぜなら、徳川家康の父(松平広忠)・祖父(松平清康)・嫡男(松平信康)がそれぞれ、家臣の謀反、謀反の疑いで殺害・死罪となった時に使われた刀が「村正」であったから。
徳川に関わる者に死を与えた道具が立て続けに「村正」であると。
更には、家康自身が関が原の戦いにおいて家臣のせいで指をちょっと切ってしまう怪我をしてしまった時も「村正」。
とにかく、徳川家に不幸しかもたらさない「村正」に家康は激怒し忌み嫌ったのです。


江戸のモテない男の起こした“吉原百人斬り事件”

この徳川家の村正との悲劇は、“吉原百人斬り事件”を元にしたと言われる歌舞伎の演目「青楼詞合鏡(さとことば あわせ かがみ)」の中に妖刀として登場し、人々に伝説的に広がっていきました。
実際に「村正」が使われた事件ではなかったのですが、そこから噂は広がり徳川家と村正の逸話がもはや誰もが知る江戸の定番となっていったのです。


ですが「妖刀」、他の刀とは一味違った

ただの日本刀というだけではありません。
この「村正」ですが、“斬れ味”が別格だったそうで、刀を磨く時に、普通の刀なら間違って刃に指がさわり切れてしまうとザクっと切れる痛みもありますし、血もでます。
ですが、「村正」は、凄まじく斬れ味がすごかったため、切り口がピタッとひっつき、血も気づかず、一瞬のピリっとした痛みとともに斬れていたことに気づくほどだったとか。


日本刀としても一級品であはありますが、江戸の徳川に仇なす道具として、徳川家においては、呪われているとしか思えないエピソードがそれを“妖刀”に変化させてしまった。
つい先日も名刀伝説「実在している名刀「鬼切丸」に隠された愛するが故に生きながら“鬼”に変わってしまった橋姫(はしひめ)の悲しい伝説。」を紹介しましたが、「村正」も名刀ゆえに、歴史の表舞台において歴史の重要人物に関わり伝説へと語り継がれたのです。