オカルトまとめでは、2034年2043年2048年2062年2280年3113年など様々な時代から来た未来人の未来を紹介してきました。
ですが、彼等の未来は第三次世界大戦など、共通点もありますが、時期がばらついたり一貫性と共通項が少ない。
エヴェレットの多世界解釈を考えると未来に一貫性がなくてもOKとなるのです。


エヴェレットの多世界解釈とは?

以前『ドラえもんの「セワシくん」におけるパラドックスを量子力学のエヴェレットの多世界解釈で考える。なぜセワシくんが存在していられるのか?』で少し説明しました。
“今”という瞬間、“現在”が、量子もつれにより、“分岐した今”が並行して重なり合っている。
しかもお互いに干渉しないまま。

つまり、各未来人が辿り着いた過去の“今”より先の“未来”も、未来人からみた過去の“今”も存在していて存在していないのです。

なんだか哲学的になりましたが、『こうだった(過去)』も『こうなるかもしれない(未来)』もすべての可能性が存在している、ということです。


未来も過去も平行世界が存在している

のび太がしずかちゃんと結婚しようがジャイ子と結婚しようがセワシくんは生まれる。
セワシくんのいた未来では、確定した未来として“そう”なのです。
でも少しでも分岐したセワシくんと同じ時間にある並行した未来ではセワシくんが生まれていない可能性もある。
セワシくんの目線で考えると、観測者であるセワシくんが“観測”していなければ、しずかちゃんでもジャイ子でも自分の祖先がどっちの過去であってもOKなのです。

そんなこと言ったら何でもありではないか?

まさにその通りで、コペンハーゲン解釈しかりで、目撃している、観測者のいる“今”こそが観測者にとって実在する事実であり、エヴェレットの多世界解釈ではそれ以外は全て不確定なものであり、観測してはじめて“過去”も“未来”も『固定(確定)』する。

我思う、故に我あり

そう考えると、このデカルトの言葉、今更凄みを感じます。